月曜日朝の二子玉川駅に田園都市線中央林間発押上行き十両編成の電車が入ってきた。
通勤客の群衆がプラットフォームの目印に蛾のように吸い寄せられ、先頭近くではきれいに三列なのが後ろのほうではプランクトンのかたまりにしか見えない朝の駅に、電車が入ってきた。
通勤客だけではなく、そうではない客も無論、朝の駅のプラットフォームには大勢、いた。明らかに高校生とわかる学生服姿の男の子や女の子、一見明白には職業も年齢もわからないスニーカーに折り目の入ったスラックスと革のジャンパーを着た顔色の悪い男、大きなスーツケースを傍らに持て余していながらこれを不愉快な中年男性に対する防壁として利用しているらしい女性はどこへとも知れぬ旅を思ってか緊張と興奮のために瞳孔がいささか開き気味だった。
器用に何重にも折り畳んだスポーツ新聞、図書館で予約して三ヶ月も待たされてようやく借りられた流行遅れの翻訳小説、携帯電話の小さな画面、それらのものから持ち上げられた顔顔はほぼそろって電車が入ってくるプラットフォーム左手に向けられ、ほぼ全員が向かい風に目を細め、まぶしさに眉をひそめていたそこへ向かって、鉄の塊が鉄の軌道を軋ませて突っ込んでこようとしていた。鉄の塊と言っても、今の電車はアルミニウムとプラスティックで主にできている。しかしそれでもなお、電源トランスやサスペンション、ブレーキ、モーターや車輪そのものなど、鉄製の部品は数多く存在していた。一台の客車だけで三〇〇トンある重くて巨大な鉄の塊が、電車がよじれながらブレーキを効かせつつ停止位置めがけて突っ込んでこようとしていた。
緩やかな弓なりにカーブした長い長いプラットフォームは、滑り止め加工を施された床材の下で重々しく震えながら、電車を待っていた。床面は水平ではなく、中央部に峰がありごくわずか隆起した弓なりの山脈と言える形状をしていたのは排水性をもたせるためで、しかし晴れわたった今日の朝、その斜面を転がり落ちまいとこらえていたのは無数の客たちだった。無数の彼らが待っていた電車は今、到着しようとしていた。
プラットフォームのわずかな勾配は靴底に感じられるよりも緩やかであったが、背中をわずかにだが確実に押し続けられるような力に必死で抵抗しているものが幾人かと、その力に誘われるように揺れている男が一人、いた。
揺れている男が立っていたのは、プラットフォーム最後尾の丸くて太い柱のそばだった。柱は垂直に伸び上がっていて、強化プラスチックのアーチとアルミニウムの骨組みでできた屋根の後端を支えてゆるがずにいた。弧を描いて波打つ板状の屋根は少しずつ重なりあいながら広がってプラットフォーム全体を覆っていた。前方の端に至って階段や改札口を抱えたキューブに屋根は連続し、最前方の柱の脇にある売店に朝刊の最終版が届いていた。
朝刊から数百メートルを隔てて揺れている男はじりじりと前へとにじり寄っていた。男の意図は誰にも分からない。人の群れをすり抜け、プラットフォームの端へと揺れながら到達しようとしていた。万が一の緊急事態に備えて、駅には非常停止ボタンが設置されていた。この日の朝のプラットフォームにも三カ所にボタンがあった。しかし、揺れる男に最も近い非常停止ボタンの周囲をぐるりと取り囲むように群がっていたのは男子高校生の集団であって、しかも足元に転がっているいくつもの大きなビニールバッグの汚れ具合からして彼らは運動部所属であり、その活動は活発であると見てとれた。活発で体力のある十代の少年が十人ばかり集まれば、コンクリートミキサー車のアイドリング程度の騒音を発生できる。時々小突きあい、傍目には殴り合いながら、彼らは楽しそうに非常停止ボタンの周囲で乗り換えの間さえもはしゃぎ続けていたのだ。彼らは他の多くの人々と違い、電車が入ってくる方角を見ていなかった。そして彼らの背は非常停止ボタン装置の存在を覆い隠すのに充分だった。周囲の人々も彼ら自身も装置の存在に気づきようのない朝だった。
電車はそんな駅に入ってこようとしていた。電車は多摩川を渡ろうとしていた。電車が渡ろうとしている線路の下で多摩川の水面は朝日に光っていた。白鷺が五羽、六羽と水に立ち、釣り人と魚を競っていた。多摩川の水はゆるやかに線路をくぐって南へ流れていた。多摩川の水に直交した線路を電車は二子玉川駅に向けてブレーキをかけながら減速しかけていた。駅のプラットフォームには今まで述べてきた光景が展開されていた。
電車はまだ入ってこない。
(完)
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oretasakana (火曜日, 20 12月 2011 00:13)
書きあがるまでにずいぶんと長い時間がかかった作品。ある一瞬をどこまでも永遠に引き延ばしてみたかった。この作品ほど書き直しをくりかえしたものは、あまりない。
oretasakana (火曜日, 13 3月 2012 23:01)
この作品を書いた2007年2月当時、大井町線は二子玉川始発だった。そのために、おおぜいの乗り換え客がプラットフォームをうめつくしていた。その後、大井町線は溝の口まで延伸したため、この作品に描いた光景はもはや見ることはできない。