脆い怪物

 

 まず思考が、次に感覚が、最後に言葉が解放された。

 何を考えてもよい。

 何を感じてもよい。

 何を書いてもよい。

 そして自由の季節がきた。

 自由の季節の最初の雨は、自分の涙だった。その涙を降らせた雲は、谷川俊太郎氏の詩編「世界の終わりのための細部」だった。そのとき泣いたのは、私も知らなかった何かだった。私はその何かを無名の怪物と呼んだ。その怪物は、ひどく脆い。

 この怪物は私の知らないうちに私の肉体と精神を喰らい、成長していた。ところが、よくみると実際ひ弱な奴で、いつ死んでしまうのか知れず、あるいは私という食べ物に飽きてどこかへ行ってしまうかもしれない。

 これから私は自分を解体し、世界を解体し、真実をつかまえてそれを言葉にしていかねばならない。世界を捉える言葉の格子を、ほんのわずかにずらすとそこにすきまが生じ、そのすきまに真実が転がっていることがある。怪物のみが世界を(私を)解体する力を持っている。同時に、つかまえた真実をこちら側に言葉として持ち帰るのは私しかできない。

 脆い怪物と私の存在の均衡もまた、この上なく脆い。自分を超えた怪物が世界を解体すると同時に私を食い尽す。怪物に自分を与えつつ、飼いならす。一瞬の後に何一つ感じなくなってしまうかもしれない脆さを、何かを恐れてほんのわずかに抑制したとたん、止まってしまうかもしれない脆さを、私は恐れてはならない。

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